2006-05-04 撮影

熊とは、「隈々しい」であり、熊野とは「隈々しい場所」となる。
延喜式には、熊野の名を持つ神社が五箇所記載されており、
古代には熊野という地名が各地にあったことがわかる。
どこが起源(最初)であるかは、判断できないようだ。

神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)を主祭神として境内中央正面の御本殿にお祀りしており、この御神名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別神名である。 ほか、境内には右手に御后神の稲田姫をお祀りしている稲田神社、左手に御母神の伊邪那美命をお祀りしている伊邪那美神社、また荒神社や稲荷神社がある。

本日3つ目の神社参りは熊野大社です。(出雲國一ノ宮)

神社境内内の池では占いをする女性が次から次へと来られています。

続いて行ったのは八重垣神社です。
この神社はとても女性(特に独身)が多く
来られます。由来から縁結びの神様として
知られているからです。

出雲大社より400年も前に本殿が作られたと伝わる
高床式の本殿の大社作りとしては最古のもの

出雲地方は神話が多く、それに伴う神社も有名です。
本当の意味での2日目のスタートです。
まずは神魂(かもす)神社へ行くことになりました。

私も魅了されて買ってしまいました。

「古事記」にはスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、玉造の勾玉を天照大神に献上し、これが皇位継承の印である三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」となったことが記されています。勾玉は神秘の形と色合いで、今も人々の心を魅了しています。

早々に車に乗り込み、「いずもまがたまの里 伝承館」へ行く

幕末、雲州松江藩は唐船番という兵団を置き外国に備えました。寛政12年(1800年)には、田儀浦にも唐船番が設置されました。嘉永6年(1853年)のペリーの来航以後の幕府の海防政策に応じ、松江藩は、田儀浦防備のため手引ヶ浦の高所と田儀川口の二箇所に台場(砲台)を設けそれぞれ大砲3門を備えたそうです。

まず、最初に訪れた場所は「手引ヶ浦台場公園」です

2日目、山陰の旅が続く

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